自分の趣味や特技を活かして、周囲のお役に立っている人が結構います。素晴らしいし、尊いことだなーとめちゃくちゃリスペクトの気持ちで応援したくなります。
でも、それでお金をもらっている人はほとんどいません。
「稼げるチャンスを逃してる」という話ではなくて、タダというのは自分にとっても相手にとってもデメリットだらけなんです。
【事実】世の中に明確な有料・無料の境界線はない
「なんらかの趣味や特技があって、それを相手にしてあげた」これは本人にそんなつもりはなくても、「大なり小なりサービスを提供した」または「困っていることを解決してあげた」と表現できます。
そんなことでお金なんかもらえない・・・と思いがちですが、世の中ではそんなことでお金を稼いで生活している人がたくさんいます。
相談に乗ってアドバイスするだけでも「コンサルティング」という職業が成り立っていますからね。日常何気なくやっていることが職業になっている例はたくさんあります。
たとえば以下の通り。
- 仕事の悩みを聞いてアドバイスする→キャリアコンサルタント
- 絵を描いてあげる→イラストレーター・似顔絵師
- 髪を切ってあげる→美容師
- PCトラブルを解決してあげる→PCサポート・カスタマーサービス
少し考えてみるとわかると思いますが、「どこからお金がもらえるレベルで、どこまでがお金をもらっちゃいけないレベルか」なんてことは実はかなり曖昧です。
払ったお金以上のサービスだと感じる人が多ければ口コミで広がるし、払ったお金以下だと感じたらクレームになる、といった具合。
価値を決めるのは相手
それにお金を払う価値があるかを決めるのは「払う人」なので心配しなくて大丈夫です。
お金を払う価値があると思えば払ってでもやってもらいたいし、払う価値が無いと思われればサービスとして成り立たない、というだけです。
実際に、本人は趣味だと思ってやっていたことが、タダでは申し訳なくなるほどのクオリティだったことで仕事にして起業したというケースも世の中にはたくさんあります。
お金を受け取らないことによるデメリット
デメリットは以下の3つ。
- 相手に精神的負担を強いる
- 自分のスキルが頭打ちする
- 好評になればなるほど辛くなる
順にもう少し掘り下げて解説します。
「タダ」は相手に精神的負担を強いる
たとえばあなた、絵を描くのが好きだったとしましょう。暇さえあれば絵を描いて、インスタに投稿して、いいねやコメントがついて。
一方、日頃からそんなあなたの絵をうまい、好きだと思ってくれている友達がいます。その友達は結婚式を挙げることになり、ぜひあなたにウェルカムボードを描いてほしい!と連絡がきました。
あなたは、(結婚式のウェルカムボードなんてそんな・・・そこまでうまくないし・・・)と断ろうとしましたが、「どうしてもお願い!」と言うので断りきれず、引き受けることになりました。
そうは言っても大好きな友達からの頼み、それも結婚式という晴れ舞台。あなたは仕事が終わった後、休みの日のほとんどの時間を費やして、なんとか描き上げて友達に送りました。
結婚式1週間前になって、友達のもとにウェルカムボードが届きました。ワクワクしながら見た感想は(あ、あれ・・・?微妙・・・。)
さて、あなたの友達は描いてくれたあなたになんて言いうでしょうか?
「目の辺りが似てないから書き直して!」なんて言えなくないですか?マトモな神経だったら。マトモな友達はきっと本音を隠してこう言います。
「ありがとう!とっても気に入ったよ!」
嗚呼、友達想いだけどなんて悲しい嘘。友達はわかっています。忙しい中で時間を作って描いてくれたし、きっと心を込めて描いてくれた。
そして何よりも、タダでやってくれたのに文句なんて言えない。
これ、他人にお金払って描いてもらったものなら、納得いくまで描き直してもらいますよね。「だってこっちはお金払ってるんだから」って。
「タダ」はあなたの上達を遅らせる
物語は続きます。笑
さっきの絵を頼んできた友達が「納得いかない!ここをこんな風に描き直してほしい!」と言ってきたとしたら、それはいわゆるクレームというものです。
ポジティブな単語ではないですが、裏を返せばどこをどう直したらもっといい絵になるか、というアドバイスです。
「タダで描いてもらった絵だからクレームを言えない」ということは、あなたの絵が上達するアドバイスをもらえない、ということでもあります。
しかも表面上は喜んでるわけだから、「ああよかった、喜んでもらえて。」みたいな事実と真逆な実感を得て、自己満だけが残ってしまいます。
タダで何かをやってもらった時のリアクションは、ほぼ強制的に「喜ぶ一択」であるのが暗黙の了解、大人のお付き合いです。
好評になればなるほど辛くなる
今度は逆に、ウェルカムボードがめちゃくちゃ気に入ってもらえた場合を考えてみましょう。
もしその友達の周りの人が絵描きさんを探していたら…きっと絶対の自信を持って素晴らしいウェルカムボードを描いてくれたあなたを推薦します。
自分の描いた絵を評価してもらえていることはとても嬉しいですが、今度は友達の友達、特に思い入れのない他人です。これが連鎖するとこうなります。
- 次々と知らない人からの依頼が来る
- お金にはならない
- でも描く材料にはお金がかかるので赤字
- 普段の仕事もしなきゃならない
- 紹介された人は他人だけど、友達の紹介だから断りづらい
こうなってくると、どこかで断らなければならない時が来たり、最悪の場合は描くことが嫌になって辞めてしまうかもしれません。
本当は描くのが好きだし、本当に人の役にも立って、評価もされてるのに。
やってあげたことが喜んでもらえなければ虚偽を受け取り、喜んでもらえたとしても負担を受け取る。それがタダであるが故に。こんな理不尽なことが他にあるでしょうか。
「タダ」にしてしまう本当の理由
それでもタダでやる理由はなんでしょう?
タダでやってあげたことに、文句を言ってくる人なんてまずいません。攻撃されることなく、人の役に立てたと満足できるかもしれません。お金をもらっていないのでクオリティに対する責任もありません。
良かれと思ってやってることが、相手に悲しい嘘をつかせていたとしたら?安く見られてお金にもならない作業が次々と舞い込んできたら?
それでも「好きなことだから」と続けられるでしょうか?
クオリティを決めるのは自分
お金をもらわなくても一生懸命やっているはずですが、無意識の内にタダ相応のクオリティになっています。
たとえばあなたがやってあげてることに、10万円の値段を付けたと想像してみてください。1枚絵を描いたら10万円、1回髪を切ったら10万円。
タダのときと同じメンタルでできますか?
10万円ですよ。それでも相手は払うと言っています。どうですか?なんか・・・すごい緊張しませんか?
10万ももらうなら中途半端なことはできない・・・!
10万ももらうならそれに見合ったものにしないと・・・!
10万円の絵って・・・高級な絵の具とか使うのかな・・・?
こんな心理が働いて、タダの時とは全く違う状態で取り組むことになります。タダならタダなりの、10万円なら10万円なりのクオリティになるんです。
10万円いただくと決めてはじめて、10万円のクオリティを考える。10万円のクオリティに責任を持ち、近づける努力をするから、10万円のクオリティになっていく。
つまり、上達します。
今も一生懸命やられていると思いますが、実はまだまだ伸びしろがあるんですよ。
ん?お金をもらった方がいいことはわかったけど、どうすればいいかわからないって?
僕なら、無理なく負担なく、双方納得いく形であなたの特技を、料金をいただけるサービスに変えることができますよ。
同時に、あなたの特技をさらに上達させることもできます。
ただし、僕への相談はお金をいただきますがね。フフフ。
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